眠音しろふの旅行譚

訪れた場所の記録

【休校中】M小学校(A小学校M分校) ~かつて教室のあった場所~

 

どうもこんにちは。自称youtuberのしろふです。

今回は休校中の「M小学校」を訪れました。

それでは本編をどうぞ

 

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とある山道の横にある坂を上っていきます。

 



坂を上りきるとこんな看板が。

 

【案内板全文】

 109年で休校した ■■■小学校

  本校は明治8年(1875)に「■■小学校■■■分校」として下手原道下に開校し、分校から独立したのは同33年である。同35年に大洪水があり校舎は流失し、その時の校長が書類を守ろうとして殉職された。翌年竹の沢に校舎を建てたが、またも大水で浸水に遭い同42年中村(鳥小石)に移転した。同44年には児童数76名を数えた。昭和33年(1958)に現在地に新築するも、同36年の54名から徐々に減り、遂に卒業生580名の足跡と地域の再開校の夢を残して、同59年3月23日児童4名にて休校式を迎えた。                              

                       ■■市

 

横を見てみると・・・・・・

 

どどーんと校舎が!!!

校門は壊れて(?)しまったのでしょうか?開けたまま放置してありますね。

音符がある、可愛らしい校門です。

 

看板の下には、こんなものがありました。


花壇跡でしょうか??

 

 

校庭には記念碑や遊具もそのまま残されていました。

 

 

この学校は今は「休校」の状態ですが、やはりいつかは「廃校」になってしまうのでしょうか??

それでも、いつまでも残っていてほしいですね。

 

ご覧いただきありがとうございました。

次の記事も、ぜひご覧ください。

 

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今回訪れた場所まとめ

名称:A小学校M分校

物件種類:学校

校舎種類:木造校舎

使用状況:管理されている。

体育館:未建築

プール:未建築

二宮金次郎像:不明

遊具:有り

門柱:有り

記念碑:有り

その他・備考:管理されています。

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YouTube版あります。よろしければご覧ください。

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編集履歴

 

文化財に登録された木造校舎「分校A」&おまけ

 

 

どうもこんにちは。自称youtuberのしろふです。

最近ブログを全く動かしていないですね。

一応目標として「動画投稿と同時にブログ投稿」を目指してはいるのですが、時間が無いです。

ニコニコの方も投稿しないとですね。「分校I」の動画を投稿しただけになっているので。

話は変わって、今回訪れた場所は「S小学校A分校」です。

 

 

 

まずは校舎の全体写真を

校舎全体

幅は50mほどでしょうか?小さな木造の校舎です。窓枠はアルミサッシに変えられていないようです。

この分校の歴史は

1903(明36)  分教場として開校

1955(昭30)  校舎を新築

1977(昭52)  本校に統合され閉校

 

となっているようです。

本校はまだ現役です。

この校舎は、戦前の校舎のデザインを踏襲して建てられたそうです。

 

それでは、分校をぐるっと一周してみましょう。

入り口

メインの昇降口はこちらでしょうか?

天井にあるランプ?がおしゃれです。

扉に貼ってある張り紙は「この分校を保存したり修繕したりしてるよーSNS公式アカウントあるからのぞいてみてねー」といったような内容のものと、「分校の見学の際のお願い」みたいな内容だった気がします。(写真は撮り忘れました)

「見学の際のお願い」の張り紙を読んでみると、

「分校の裏は立ち入り禁止」と書いてあるではありませんか!

ふむふむ。それなら、分校の裏は行かないでおきましょうか。


玄関の横を見てみると・・・・・

 

蛇口

 

可愛らしい小さな蛇口がありました。きっと、当時のものでしょう。

水は出ませんでした。

 

次に、反対側へ行ってみます。

分校内部

扉があったので、その扉の窓越しに撮影しました。(その扉の写真は撮り忘れました)

教室の椅子や机はすべて片付けられているようです。見た限り、前に訪れた「分校I」のように、分校の外に放置されていたりはしていませんでした。行けなかった裏にはあるのかもしれませんが。

緑色の扉や窓枠がおしゃれです。中に入ってみたいですね。

「分校I」の放置された机たち

 

「分校I」のブログを読みたい方はこちらからどうぞ

sirohu-haikyo.hatenablog.com

 

最後にパシャリ。分校の隣の木は桜の木です。春には「桜と木造校舎」という組み合わせの写真が撮れるようなので、いつか、春にまた訪れたいですね。

 

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今回訪れた場所まとめ

名称:S小学校A分校

物件種類:学校

校舎種類:木造校舎

学校種類:分校

使用状況:国の文化財として管理されている

体育館:未建築

プール:未建築

二宮金次郎像:現存せず

遊具:現存せず

門柱:現存せず

記念碑:無し

その他・備考:管理されています。

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YouTube版あります。よろしければご覧ください。

【廃校】国の登録有形文化財になった廃校「S小学校A分校」を見学 - YouTube

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【分校A 編集裏話】

 【ざっくりまとめ】をなくしてみました。理由は「普通にエフェクトを付けたり、表示のタイミングを調整したりするのがめんどくさくなったから」です。

もしかしたらまた復活するかもしれません。

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【感想&反省】

 分校の建物は木に隠れているため見つけづらかったです。もし訪れるという方がいらっしゃったら、ご注意ください。

建物は昭和30年築とのことなので、「Y小学校旧校舎」と同じ年なんですよね。

Y小学校旧校舎


それでなんとなく「昭和30年の出来事」を調べてみました。

・電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビの3つが「三種の神器」と呼ばれるようになる

・後楽園遊園地開園(今の東京ドームシティ・アトラクションズ)

広辞苑初版発行

などがありました。個人的には、後楽園遊園地と同じ年に建てられていたのは意外でしたね。

 

Y小学校旧校舎のブログはこちら

【木造校舎】Y小学校の旧校舎 - 眠音しろふの旅行譚 (hatenablog.com)

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【おまけ】

 「T農場西洋館」を訪れました。なぜ独立した記事にせず、おまけにしたのかというと、「撮った写真の数が少なかったから」です。

別に「撮った枚数の少ない物件」を集めて一つの記事にしてもいいんですけどね。

 

「T農場西洋館」の歴史は

1919年(大8) T氏が「T農場」を開業。西洋館はこのころに別荘として建てられた。

農場の主な目的は、「炭鉱への食糧供給と西洋の近代的な農場運営を試みるため」であった。農場では小麦や馬鈴薯などが栽培されていたという。また、牛舎や厩舎などもあった。

しかし、農場は炭鉱不況を受けて規模が縮小し、1928年(昭3)には経営母体であった会社が廃業。その後、農場は小作人に任せられた。

戦後になるとGHQにの政策により農場は消滅した。

西洋館は1952年(昭27)頃に無住となり、その後放置され土台と赤煉瓦の壁面が残るだけの状態となった。

2000年代には「心霊スポット」といわれるようになった。

2015年(平26)に建物の所有者が太陽光発電業者に移ったことから市が調査を行った。

藪が刈られ整備が行われ、付近には歴史を解説する看板も建てられた。その看板には、当時の写真が掲載されている。

現在ではNPO法人によって管理されている。

 

T農場の唯一の遺構、西洋館の写真がこちら

T農場西洋館

見事な赤レンガ造りの建物です。右側には、西洋館の歴史を開設する看板があります。

ちなみに公開できる写真はこれしかありません。

T農場西洋館のYouTube版はそのうち公開します。

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この記事もずいぶん長くなっていしまいましたね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次の記事も、ぜひご覧ください。

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編集履歴

 23.9 文章を変更

 

 

遊具資料館 No_01 箱ブランコ

 

遊具資料館へようこそ!

このブログシリーズは、遊具(主に危険遊具)の大きさなどを記録し、後世に残しておくためのブログです。

 

※写真の転載・改変・自作発言を禁止します。

 

展示番号No_01 箱ブランコ

 

箱ブランコ

遊具種類:箱ブランコ

現役である。

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支柱の長さ:220cm

上の支柱の長さ:165cm

ゴンドラの乗り口のほうの長さ:138cm

ゴンドラの背もたれのはば:82cm

背もたれの高さ:47cm

座席の正面からの長さ:29cm

座席のほば:76cm

地面とゴンドラの間の一番低いところ:26cm

吊り下げ部分の長さ:22cm

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座席

吊り下げ部

 

ありがとうございました。

次の投稿も、ぜひご覧ください

つぶやき。その1

 最近、ブログのほうが動かせていないので、ブログ限定の何か新しいことを始めてみたいと思う。そこで「遊具資料館」ということを始めてみたいと思う。

今では珍しい箱ブランコなどの遊具を写真に撮り、この遊具はどんな遊具なのか、というのを説明するだけのやつだ。(もちろん、場所については言わないが)

大きさなども測って掲載する予定だ。(将来、もしそういう情報が必要な方のため←そんな人いるのか?)

不審者にならないように気を付けないと‥

 

以上、つぶやきでした。byしろふ

 

【木造校舎】Y小学校の旧校舎

どうもこんにちは。眠音しろふです。

今回はとある旧校舎を見に行きました。

沿革をざっくり説明すると

 

明治6年 開校

明治41年 分教場(分校)が開校

昭和22年 分教場(分校)を統合

昭和30年 現存する校舎が完成(今回紹介する木造校舎です)

昭和58年 現在地へと移転 旧校舎が使われなくなる

             (市の学校歴史をもとに作成)

 

と、なっているようです。

ちなみに移転した本校は現役のようです。

 

※本ブログの写真は全て転載・改変・自作発言禁止となっています。

どうしても転載したい場合はTwitterのDMにて要相談

 

校舎がこちら

 

校舎全体

木造二階建ての校舎です。今まで見てきた校舎と比べると小さめ?

右側の直した後みたいなのが気になりますね。

一部解体されてしまったのか‥それとも元々こうだったのか‥

真相は闇の中です。

青い空と木造校舎

青い空がきれいですね。

時計はすでに止まっています。

内部写真

校舎内部です。入ったわけではなく、窓から撮影しています。

右の四角はエラーなどで抜けているわけではないのでご安心ください。

倉庫として使われているんですかね??教育委員会のものがありました。

錆びた鉄棒

見ての通り錆びた鉄棒です。おそらく当時子供たちが遊んでいたものでしょう。

校舎から少し離れたところにありました。

ちなみに鉄棒と校舎以外は何も残っていないようです。(二宮金次郎の像なども見つけられませんでした)

鉄棒と校舎

校舎と鉄棒です。校庭にはプレハブ小屋が建てられています。

校舎も鉄棒も、今から50年以上も前のもの。解体されずに残っていることは個人的にはうれしいです。

大きな木と木造校舎

最後に一枚。とても静かな空間でした。

またいつか訪れたい、そんな場所でした。

 

 

次はどこへ行こうかな。

 

 

 

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今回訪れた場所まとめ

名称:Y小学校旧校舎

種類:学校

校舎種類:木造校舎

使用状況:倉庫として使用されている?

体育館:現存せず(おそらく元々建てられていない?)

プール:現存せず(おそらく元々建てられていない?)

二宮金次郎像:現存せず

遊具:鉄棒のみ現存

門柱:現存せず

記念碑など:不明

その他:無し

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【お知らせ】

youtube版はこちらから

【旧校舎】関東某所にあるY小学校の旧校舎を見学 - YouTube

 

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ここまで閲覧いただき、ありがとうございました。

次の投稿も、ぜひご覧ください。

 

 

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【編集記録】

 23.9 文章を修正