眠音しろふの旅行譚

訪れた場所の記録

文化財に登録された木造校舎「分校A」&おまけ

 

 

どうもこんにちは。自称youtuberのしろふです。

最近ブログを全く動かしていないですね。

一応目標として「動画投稿と同時にブログ投稿」を目指してはいるのですが、時間が無いです。

ニコニコの方も投稿しないとですね。「分校I」の動画を投稿しただけになっているので。

話は変わって、今回訪れた場所は「S小学校A分校」です。

 

 

 

まずは校舎の全体写真を

校舎全体

幅は50mほどでしょうか?小さな木造の校舎です。窓枠はアルミサッシに変えられていないようです。

この分校の歴史は

1903(明36)  分教場として開校

1955(昭30)  校舎を新築

1977(昭52)  本校に統合され閉校

 

となっているようです。

本校はまだ現役です。

この校舎は、戦前の校舎のデザインを踏襲して建てられたそうです。

 

それでは、分校をぐるっと一周してみましょう。

入り口

メインの昇降口はこちらでしょうか?

天井にあるランプ?がおしゃれです。

扉に貼ってある張り紙は「この分校を保存したり修繕したりしてるよーSNS公式アカウントあるからのぞいてみてねー」といったような内容のものと、「分校の見学の際のお願い」みたいな内容だった気がします。(写真は撮り忘れました)

「見学の際のお願い」の張り紙を読んでみると、

「分校の裏は立ち入り禁止」と書いてあるではありませんか!

ふむふむ。それなら、分校の裏は行かないでおきましょうか。


玄関の横を見てみると・・・・・

 

蛇口

 

可愛らしい小さな蛇口がありました。きっと、当時のものでしょう。

水は出ませんでした。

 

次に、反対側へ行ってみます。

分校内部

扉があったので、その扉の窓越しに撮影しました。(その扉の写真は撮り忘れました)

教室の椅子や机はすべて片付けられているようです。見た限り、前に訪れた「分校I」のように、分校の外に放置されていたりはしていませんでした。行けなかった裏にはあるのかもしれませんが。

緑色の扉や窓枠がおしゃれです。中に入ってみたいですね。

「分校I」の放置された机たち

 

「分校I」のブログを読みたい方はこちらからどうぞ

sirohu-haikyo.hatenablog.com

 

最後にパシャリ。分校の隣の木は桜の木です。春には「桜と木造校舎」という組み合わせの写真が撮れるようなので、いつか、春にまた訪れたいですね。

 

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今回訪れた場所まとめ

名称:S小学校A分校

物件種類:学校

校舎種類:木造校舎

学校種類:分校

使用状況:国の文化財として管理されている

体育館:未建築

プール:未建築

二宮金次郎像:現存せず

遊具:現存せず

門柱:現存せず

記念碑:無し

その他・備考:管理されています。

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YouTube版あります。よろしければご覧ください。

【廃校】国の登録有形文化財になった廃校「S小学校A分校」を見学 - YouTube

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【分校A 編集裏話】

 【ざっくりまとめ】をなくしてみました。理由は「普通にエフェクトを付けたり、表示のタイミングを調整したりするのがめんどくさくなったから」です。

もしかしたらまた復活するかもしれません。

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【感想&反省】

 分校の建物は木に隠れているため見つけづらかったです。もし訪れるという方がいらっしゃったら、ご注意ください。

建物は昭和30年築とのことなので、「Y小学校旧校舎」と同じ年なんですよね。

Y小学校旧校舎


それでなんとなく「昭和30年の出来事」を調べてみました。

・電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビの3つが「三種の神器」と呼ばれるようになる

・後楽園遊園地開園(今の東京ドームシティ・アトラクションズ)

広辞苑初版発行

などがありました。個人的には、後楽園遊園地と同じ年に建てられていたのは意外でしたね。

 

Y小学校旧校舎のブログはこちら

【木造校舎】Y小学校の旧校舎 - 眠音しろふの旅行譚 (hatenablog.com)

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【おまけ】

 「T農場西洋館」を訪れました。なぜ独立した記事にせず、おまけにしたのかというと、「撮った写真の数が少なかったから」です。

別に「撮った枚数の少ない物件」を集めて一つの記事にしてもいいんですけどね。

 

「T農場西洋館」の歴史は

1919年(大8) T氏が「T農場」を開業。西洋館はこのころに別荘として建てられた。

農場の主な目的は、「炭鉱への食糧供給と西洋の近代的な農場運営を試みるため」であった。農場では小麦や馬鈴薯などが栽培されていたという。また、牛舎や厩舎などもあった。

しかし、農場は炭鉱不況を受けて規模が縮小し、1928年(昭3)には経営母体であった会社が廃業。その後、農場は小作人に任せられた。

戦後になるとGHQにの政策により農場は消滅した。

西洋館は1952年(昭27)頃に無住となり、その後放置され土台と赤煉瓦の壁面が残るだけの状態となった。

2000年代には「心霊スポット」といわれるようになった。

2015年(平26)に建物の所有者が太陽光発電業者に移ったことから市が調査を行った。

藪が刈られ整備が行われ、付近には歴史を解説する看板も建てられた。その看板には、当時の写真が掲載されている。

現在ではNPO法人によって管理されている。

 

T農場の唯一の遺構、西洋館の写真がこちら

T農場西洋館

見事な赤レンガ造りの建物です。右側には、西洋館の歴史を開設する看板があります。

ちなみに公開できる写真はこれしかありません。

T農場西洋館のYouTube版はそのうち公開します。

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この記事もずいぶん長くなっていしまいましたね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次の記事も、ぜひご覧ください。

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編集履歴

 23.9 文章を変更